ベティ・ブルーを久しぶりに見た(ネタバレ注意)

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Betty Blue ベティ・ブルー ジャン・ジャック・ベネックスベティ・ブルー インテグラル(リニューアル完全版)
昨日の夜は、1時に布団に入ったのに5時までずっと眠れなかった。やっと眠れたかと思ったら、ひどい雷と近所の工事の地響きで10時過ぎには目が覚めてしまった。何にもすることがないので、とりあえずDVDでも借りるかと思い、母親を仕事場まで送っていったかわりに小平の仲町にあるツタヤによってみた。世田谷に住んでいたときに通っていたツタヤにもあったのだけれど、こちらのツタヤにもありました、「2枚で2,500円コーナー」。好きなCDやDVDを組み合わせて2枚で2,500円で買えるというコーナーです。そこになんとあのベティ・ブルーが!ついつい手にとって買ってしまった。ちなみに一緒に買ったのはSmashing Pumpkinsの『Mellon Collie And The Infinite Sadness』。いつか国内盤欲しいなあと思っていた名作です。
閑話休題。この映画、最初に見たのはいつ頃だったけな。たぶん、大学に入った直後の頃だったと思う。公開は1986年と意外に古い。最初に見たときには、とにかく衝撃的だった。こんな映画見たことないと思った。ストーリー、カメラワークが語る無形のメッセージ、カラーリング、すべてが最高だった。演技や台詞だけではなく、色遣いや音楽でも、多くを伝えられるのが映画なんだと、ある意味では映画を脱構築し、さらに再構築した作品だった。でも、たぶんそのときの僕はまだ若かったのだろう(実際若かったけど)、無性に悲しくなった。絶望した。それ以来、この映画は心の状態が悪いときには見ることができなくなった。あれから何年たったかな。
 以下ネタバレ注意です。

海岸沿いのバンガローに住むゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)は、過去に小説家を目指していたが、いまはバンガローの家主に管理人として雇われている。気性の激しいベティ(ベアトリス・ダル)と出会い、情欲におぼれる二人。ゾルグに小説家の道を歩んで欲しいと思ったベティは、バンガローに火をつけ、友人の家へと移る。ゾルグの小説をタイプし、パリの出版社に送りつけるが、いい返事をもらえない状況にいらだつベティ。ゾルグの小説を「下品だ」と罵った出版社に殴り込みをする。友人の母親が死に、その家業であったピアノ屋を二人でつぐことになる。そんなとき、ベティは自分が妊娠していることを悟り、二人の愛は深まっていく。
 が、ベティは妊娠していなかった。そこから二人のバランスが崩れていく。ベティは鬱状態に陥り、子供を連れ去るなどのさまざまな奇行をする。そんなベティを心から愛し、元気づけようとするゾルグだが、ベティの症状は悪化する一方だった。ついには自らの目をくりぬき、入院してしまう。ベティの入院中に、ゾルグの小説の出版が決まり、大喜びで病院にいるベティに伝えるために走るゾルグ。だが、ベティはすでに何もわからない早期痴呆にかかってしまっていた。常に一緒にいる、という約束をしていたゾルグとベティ。その約束が果たせなくなってしまったゾルグは、ベティを解放するために自らの手で彼女の命を絶ってしまう。そしてゾルグは、ベティが夢見た小説家の道を歩み始める…。

 二人が出会った頃の愛は、情欲の愛だったと思う。お互いに体を求め合い、快楽の中に見いだすことができる愛。しかしその愛は、二人が同じ年月をともにする中で、少しずつ精神的な愛へと昇華されていく。この愛情の質の変化が、実にうまく描かれている。ストーリー初期はピンクや赤、黄色など非常に派手な色遣いの絵作りをし、だんだんと自然な色合いを中心に描くようになっていく。そしてベティの崩壊にあわせて、モノクロームの世界へ。僕が映画をあまり見ない理由の一つに、映像として提示されてしまうことで、イメージの広がりが限定されてしまうことがある。だから、自分が読んだとおりに勝手にイメージできる文章の方が好きだったりする。ジャン・ジャック・ベネックスの絵は、ものすごく文学的。色の使い方、音の使い方、台詞の少なさ、行間を少しずつ読み取って、自分の中で再構築できる余裕がとても多い。いままでに見た映画の中でも、正直、これほど解釈に自由な幅をもたせた作品は皆無かなと思うほど、孤高の作品に仕上がっています。ジュリエット・ビノシュ他が主演したキェシロフスキの3部作『トリコロール』も、ベティ・ブルーがあってこそのものだったと勝手に思っています。
 やっぱり見た後は、かなり衝撃が大きかった。この作品は未公開のカットが加えられた「ベティ・ブルー インテグラル」から、さらに未公開のシーンが加えられて「ベティ・ブルー インテグラル(リニューアル版)」となっているので、185分の大作なのだけれど、ずっと食い入って見てしまう。死が終わりを意味するなら、決して見た後にハッピーな気分になる映画じゃない。死が終わりではなく、圧倒的な愛に包まれたものであるなら、それはむしろとてもハッピーなのかもしれない。

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