リトル★ハッカー 「ハッカー」になった子供たち
先週末、じいちゃんの法事で久しぶりに実家に帰ったので、その途中にブックオフで買ってみました。 「ハッカー」になった子供たち、という副題が示すとおり、ティーンエージャーの子供たちがハッカーとなるまでの生い立ちや考え方、現在までを縦断的に追ったルポルタージュ作品です。
ハッカーというとすでに悪いイメージがついているかもしれないけれど、もともとは「コンピューターに精通している人」を指す言葉であって、ネットワーク上で悪さをする人を指すわけではない(悪いことをする人は「クラッカー」なんて言い方をされたりするんですが、この辺の定義はGoogleとかで検索してもらった方がよりわかると思います)。ので、いろんなオンラインサービスにDDoS攻撃を仕掛けてネットワークをダウンさせたことで有名な「マフィアボーイ」の事例など、いわゆる「ハッカー」というスティグマ的な存在から、逮捕される前に足を洗った事例まで、幅広いレポートが載っています。
大学院時代、ミクロ社会学的なアプローチで人々のライフスタイルを調査し、エスノグラフィー(「民族誌」)としてまとめて、特定の社会理論でそのライフスタイルを分析する、という研究をしていたせいか、いわゆるルポルタージュ的な作品を読むのは結構好きです。特にこの作品は、対象者がコンピューターに「ハマる」前の生い立ちから追っているところがおもしろいところ。日本で典型的な「コンピューターオタク」像って、「部屋に閉じこもって朝までPCの前でコンピュータをいじっている」っていうものだと思うし、こうしたイメージが「ハッカー」のイメージとつながっているんじゃないかな。こうしたイメージの連鎖は決定的に間違っていると思う。たしかに幼い頃に両親が離婚し、放っておかれる中でコンピューターに目覚めるという例もあるのだけれど、スポーツをし、ふつうに人間関係を保っているような子供がハッカーとなる事例も多く報告されている。ハッカーという人格が、特定の環境の中で特殊に育った人ではない、ということがよくわかる。
ハッカーという存在について書かれたあらゆる本・テクストに書かれていることは、「Knowledge is The Power」、知識は力なり、ということ。そしてその知識を、能力のある人間で共有することでより大きなことができるようになる。知識を持つ仮定には、家にあったビデオを分解してみて、その動作からいわゆる精密機器がどのような形で動いているのかを確認したことをスタートして、それが単一の機器からネットワークに存在するあらゆるコンピューターに拡大していく。単純に言うと、コンピューターという客体に対して非常に強い探求心を持った人がハッカーとして育ち、ネットワークを通じて知識を共有し、自分の知識を拡大していく。そして閉じられたサーバやネットワーク機器に不正に進入していろいろとやってみるようになる。やっぱり根は「好奇心」なんだとおもう。
ひとつひとつの事例は少し文章量と説得力に欠けるところがあるのは不満なんだけど、時系列的に事例を追えていることが、この本の意義だと思う。もう一つのこうしたハッキングルポルタージュの大作「カッコウはコンピュータに卵を産む〈上〉」に比べると、後者はハッカーという人間に重点を置いてまとめているのに対して、後者はハッカーのやったことと管理者の戦いがその詳細な戦法も含めて記載されている点で対比して読めるのがとても興味を引きます。
どちらもなかなかな本なので、読んでみてもおもしろいと思います。とくに「カッコウはコンピューターに卵を産む」はサイバーミステリーとして十分楽しめます。両本とも、ぜひ読んでみてほしいです。