老うべき人は老いていき、育つ人は育っていく

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今日、痴呆症で特養老人ホームに入っている祖母が入院したという連絡が入ったので、病院に行ってきた。
日曜日の水族館ツアーで会ったおばさんの話では、土曜日までは血色もよく元気だったという。
会ってみると、祖母は真っ黄色な顔をしていた。黄疸が出ている。もちろん、会っても僕であるということはわからない。
医師と面談した母親が言うには、黄疸の原因としては胆石か肝臓に腫瘍ができているかのどちらかだろうという。
ただ、胆石の場合は、かなりの痛みを伴うのに、祖母は何も痛みを感じておらず、飄々としている。
その様子から、医師は腫瘍ができている可能性が大きいのではないか、ということなのだ。
腫瘍ができているとすると、完治させるにはかなりの大手術になるらしい。
むろん、84歳になった祖母にはその体力もなく、また痴呆もあるので術後の治療にも耐えられない。
手術を受けない場合の余命は1ヶ月前後になるだろう、とのことだった。
人の死、特に思いのある人の死は、いつ体験しても辛い。祖父が死んだときもそうだった。
僕が小さいとき、実家の隣は広い公園だった。祖母が実家に来るときには、隣町に住んでいたいとこも集合して、
一緒にその公園で遊んでいた。そして、時間になると祖母は、いつも公園の反対側から歩いて元気な姿をみせてくれた。
僕やいとこは、みんなで祖母の方に寄っていき、一緒に実家にかえって時間を過ごした。
それから20年以上たち、僕は大人になり、少しずつ体力の衰えを感じるようになった。
祖母は、これから死を迎えようとしている。
病院の帰り、姉のところに寄った。
姉には8歳、2歳、8ヶ月の、3人の子供がいる。子供たちはみんな、元気に育っている。
時間の経過、人によって大きく意味が異なる。
子供にとってはこれから生きていくための躰と心を作る大切な時間。
大人にとっては、日常生活の中で、何気なくすぎていってしまう時間。
そして老人にとっては、いつか来る「死」を考えながら残り少なくなっていく、とても愛おしいもの。
死に直面しようとしている祖母と、すくすく育っていく子供、
そして時間を浪費している僕、すごく対照的だ。
祖母が生きた証を心に刻み、子供たちが育っていく姿を見守りながら、
僕も、限りある時間を有効に使い、いつか気持ちよく永眠できたら。
本当に強く思った。

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