パッション(ジム・カヴィーゼル監督)
『ダヴィンチ・コード』を読んで以来、僕の中で「キリスト教の真実」ブームが起こっています。学生の頃から、歴史を学ぶのは好きでした(専攻は日本史でしたが)。考えても見れば、キリストの物語というのは、紀元前から続く一大歴史ロマンなわけで、歴史学や神学などいろいろな方面からの研究もされているし、またもっと大きく言えば、現代の欧米の根幹をなすものだと考えられるわけ。僕の興味は、どちらかというと、史学的な興味です。もういい歳なので(笑)、信仰というものが人々を支配するために暗黙裏に利用されるイデオロギーの側面を持っていることは理解しています。絶対神をもたない仏教が日本の国教となっているのは、江戸時代末まで続いた日本の封建的な社会と無縁ではないわけで。つまり、王なり将軍が人を従わせるためには、「すべての人は平等である」・「神こそが救い主である」という教えを説く宗教は排除したい考えの一つであるということ。フランスやイギリスといった西欧諸国が、キリスト教を国教としながらも、王制を維持できたということは、どこかで史実が書き換えられている可能性が高い。キリスト教についてどのようにそれが書き換えられ、真実はどこにあるのか、それは一つの歴史物語として、非常に興味がわいてきた、というわけですな。
が、一度でも聖書に目を通したことがある非キリスト教徒からすると、あの本は難しすぎる(笑)。登場人物が多すぎるし、福音書と呼ばれるものがいろいろとあるので、何を読めばいいのかもよくわからない(笑)。ので、予備的な学習として、聖書やキリストのことを平易な文章で解説してくれている聖書入門的な読み物か、映像を見てみようという結論に至りました。んでもって見てみたのが、この映画『パッション』だったわけです。
この映画は、敬虔なカトリック教徒であるメル・ギブソンが私財を投じて作った、イエス・キリストが逮捕・処罰され、復活するまでの一部始終を描いたものです。台詞を当時の言語であったラテン語やアラム語で語らせるほど、かなりの情熱を持って作られた映画のよう。ネタバレになりますが、イエスが自分の弟子のユダによって裏切られ、十字架を背負わされてゴルゴダの丘に連れて行かれ磔にされたことぐらいはいくら無知な僕でも知っていた。そうしたストーリーを、エグイまでの描写で見せ続ける。十字架につるされたイエスが「許し給え、彼らは自分たちがやっていることをわかっていないのです」と叫ぶシーンは、非クリスチャンの僕にも、熱いものが伝わってきました。
実際に感じられるもの、体験できるもの、合理的に説明できるもの以外をなかなか理解できない僕ですが、宗教ってそういうものじゃないんだな、と。忘れられるからこそ人間は生きていける。それと同時に、信じるものがあるからこそ、人は生きていける。すごく基本的なことなのだけれど、たぶんこれが人生を構成する絶対的な真理だと思う。それをこの映画は教えてくれました。キリスト教の真実とは何かとか、都合よく書き換えられた部分とは何か、なんてことをこのエントリの最初で書いているけど、それは単に「事実追求」という歴史学の命題に従った興味であり、キリスト教を否定するつもりは毛頭ない。どんな宗教であれ、絶対的に信じられる一つのことを持つ、それがとても尊いことなんだということを教えてくれました。史実がどうであれ、人は罪深い生き物であり、敵を愛し赦す心を持つことがその罪を購う最高の方法である、というのがキリスト教の根幹をなす考えである、ということで間違いはないかしら。
最近のマイブームがキリスト教というのは喜ばしき出来事(笑)。この映画は脚色なく聖書を忠実に再現したストーリーですよね。
なぜキリストが十字架にかけられなければならなかったのか、その答えは聖書にあり!ですね。ぶっちゃけ、誰でもない、あなた自身のためです、ってピンとこないかもしれないけど・・・。
信仰を持つということは大したことじゃなくて、自分自身を自由にする人間の武器だと考えています。生きていれば環境や状況に縛られ、身動きとれなくなる状況に幾度も追い込まれる。それは「私」が「私」の知恵や経験といった「私」の力で乗り越えようと足掻くからなのかも。
神の存在を認め、受け容れることで、「私」の存在の意義が浮かび上がる。神の意思が「私」に働くとき、その歩みがどんなにしんどくても、導きを待ち望むゆとりと安らぎが与えられるような気がします。それって誰にも、どんな状況にも支配されない「自由」なんですね。この世に生きる事って、モノや人や社会や、いろんな事に支配されながら生きなきゃならないんだけど、何人も立ち入ることができない領域が信仰だと考えています。それってすごくステキじゃないですか?わくわくするのは私だけかしら?
コメント入れるのやめようと思ってたんですけど、ついつい書き込んでしまいました..。すいません。