昨晩寝たのが午前3時過ぎだったため、起きたらすでに9時半。ホテルの朝食の時間を逃してしまった。また、台風が近づいていて天気も心配だったので、猛ダッシュで準備をし出発。
急ぐとロクなことがないね、買い置いていたヴィダーインゼリーとボトルを思いっきりホテルに忘れたまま出てしまいました(涙)。
気を取り直して、本日のコースのおさらい。まずはホテルから近い首里城を見学し、その後沖縄南部に集中する戦跡めぐり。平和祈念公園〜ひめゆりの塔〜喜屋武岬(平和の塔)。そして糸満市、豊見城市を経由して那覇市に入り、ホテルに帰ってくるというルート。
最初に行った首里城への道程が一番大変だったような気がする…。城というぐらいだから高台にあるわけで。ホテル(おもろまち)から首里城まではほぼ登り続き。昨日空港から自転車でホテルまで来た時も思ったけど、沖縄には勾配が急な坂が多い気がする。「え〜これ登るの??」と思わず独り言を言いそうな坂が何個あったことか。ホテルからは4km弱の距離にもかかわらず、40分ぐらいかかってしまった。この時点で汗まみれ。
途中さらに気づいたトラブル。何故か右足のSPDクリートが取れていた、というか正確には、ビンディングからリリースした時にシューズから外れ、ペダルにくっついてた。アンカービスを固定するプレートが失くなっていたので、つけられなくなってた。上り坂でビンディング使えないと結構辛い…
流石は沖縄を代表する観光名所、すごい人。モノレールから歩けるせいか、車ではない人もチラホラ。特に駅から来るお客を正面に迎える守礼門はすごい人混み。
首里城をみると、沖縄ってやっぱりいろんな文化のミクスチャーなんだな、ということを再認識させられる。琉球王国時代はやはり中華系の文化が色濃いのだけど、明治時代に強制的に日本にされたわけで。まあ、服装などは当時とどうかはよくわからないけど、こと建築技術に至ってはそうだと思う。沖縄の街並みをROMA2で走っていると、石の積み方や屋根の作りなど、首里城を踏襲しているんだなあとつくづく感じてしまった。
例えばこの門の作りとか、河原の使い方とか、老朽化した時の変色の仕方。
こんな家が何軒も軒を並べて建ってるの。京都や長崎もそうだけど、圧倒的な文化的歴史を持っている町はやっぱりすごくいい刺激をもらえるね。
これが有名な首里城の本殿。
本殿の中は撮影禁止なのだけど、おそらく玉座だと思われる一室のみ撮影OKだったのでパシャリ。
豪華だねえ。
総合休憩所のカフェで遅い朝食を食べ(ポークサンド)、汗が引いたところで次の目的地、平和祈念公園に出発。その前に首里城の駐輪場で左足に残ってたクリートを右足に付け替えた。片方だけなら、利き足のほうが楽。
首里城から平和祈念公園までは、沖縄南部のちょうど真ん中を走る国道507号線をひたすら南下する約16kmの行程。首里城まで登ってきたこともあり、途中までは下り続き。「ああ、これこそ沖縄サイクリング!」といった感じで気持ちいい。かなり風が出てきたけど、どちらかというと追い風だったので何の問題もなし。サトウキビ畑に囲まれた道をひたすらに進んでいく。
タイムトライアルをやっているわけではないので、疲れを感じたら道の端で小休止&給水タイム。沖縄輪行では、疲れの防止のためにはこまめな休息と給水が必須。
休憩中に思ったのは、サトウキビってこんな栄養がなさそうな土壌でも育つんだな、ということ。
自然は強い。
507号の終点は具志頭という交差点。ここに差し掛かってすぐに、スコールに見舞われる。近くのコンビニに避難し、携帯用リュックの中に忍ばせておいた防水バッグにすべての荷物を詰め込む。
さらにしばらく走ると、平和祈念公園の側にある風車が見えてきた。
平和祈念公園にはもうすぐと思いながら走っていると、あっけなく着いてしまいました。首里城から平和祈念公園までは、スコールを除けば結構楽だったな。
入り口にあった屋根付きベンチで一服&小休止。その後、平和祈念公園を散策しました。公園内は自転車で移動出来るので楽チン。
最初にみたのは平和祈念堂。450円の有料です。
中には供養のためのでっかい仏像と、
各都道府県からおくられた「霊石」なるものが展示してありました。
圧巻だったのは、「平和の礎」。日本人だけではなく、朝鮮から来た人、敵国であったアメリカやイギリスなど、沖縄戦で亡くなった方の名前が全て刻まれている。この石碑が、「平和の火」というモニュメントを中心に放射状にならんでいる。
これだけ多くの方が戦争で亡くなったことに改めて心が痛む。
また、平和の礎は絶壁に建てられており、海が眺望出来る。
台風のせいで大時化だったけど。
その後、霊域に移動。ここには、各都道府県出身の戦死者を弔うために、「埼玉の塔」などという名前でさまざまな塔が立っている。その中心にあるのが、国立沖縄戦没者墓苑。沖縄戦で亡くなった方を祀る中心となる墓苑。
ここでもしっかりと手を合わせお祈りをしてきました。
以上で概ね平和祈念公園をみたと思い、次の目的地へ「ひめゆりの塔」に移動することに。祈念公園からひめゆりの塔までは近く、3km程度の道のり。
平和祈念公園は広いせいか天候のせいかわからないけど、けっこう閑散としてたんだけど、ひめゆりの塔は教科書にも載っているところ。ここも人がすごかったです。
入ってすぐに出迎えてくれるのは、外科壕とその奥に立つ石碑。沖縄南武線戦では、多くの病院が壕の中にあったようで、これは陸軍病院外科三科で利用していた壕。この中で何人もの女子動員学生がなくなっているとのこと。
その後、ひめゆりの塔資料室を見学。撮影不可なので写真はありませんが、ここは本当に重い。動員され、亡くなった方の遺影がすべて飾られ、どのような死に方をしたかまですべて記載されている。数ではなく「個」で説明されると、かなりキツい。泣きそうになる。
ひめゆりの塔のあとは、今日最後の目的地へ、喜屋武岬へ。ここは、追い詰められた方が何人も身を投げて自殺したという断崖絶壁。国道から小さな道に入り3kmほど進む。途中舗装されていない道もあり、また周囲はひたすらサトウキビ畑。到着には苦労しました。
Google Mapをたよりに何とか到着。到着時は一人だったのだけど、その後車が4台ほど続々と。
ここはやはり、多くの人が身を投げたという断崖絶壁がポイント。「お国のため」という教育を受け、わかってはいたのだろうけど、飛び降りる時はどのような気持ちだったのだろう。家族がいる人、子供がいる人、そういう人たちのことをどのように思いながら身を投げたのだろう。二児の父親としても、とても心が痛む。
見ての通りの断崖絶壁。台風のせいで海も荒れてるし、見ているだけでも怖いです….。
これで今日の最低限の目的は達した。この時点でけっこう足がパンパン。まだ距離は20km以上で残っているので、余計な色気を出さず、このまま宿に戻ることにしました。
国道に出て、ひたすら糸満市の中心部に向けて走っていく。国道に出るまでの道は、「いかにも沖縄」という家屋が多く、一部は歩いて散策しました。
ひたすら新しい沖縄風の建築の家。天井にはしっかりとシーサーが。
シーサーは至る所に。メインの門の前、勝手口の入り口にも。シーサー欲しい。
あとはひたすら国道331号線を那覇市にむかって滑走。糸満市の中心部を抜け、豊見城市に入る。ショートカットのため、途中県道62号と221号を使う。この2つの県道はひたすら登り。最後の山だと思ってちょーがんばった。この頃には台風の影響でかなり強風が吹き、しかも向かい風。スピードを落としながら、体力に気をつけながら走りました。
けっきょく、18時半ごろに宿に到着。総走行距離57kmでした。
戦跡めぐりは本当にいろいろなことを考えさせられる。死にたい、でも、死にたくなくても死ぬしかない人もいる。生きてるってことは本来、幸せなことなはず。それがわからなくなる時がある。そんな時は今回の旅を思い出したい。
以上、本日のレポートでした。今日もROMA2ちゃんはよく走ってくれました。お疲れ!
明日は「記録的な台風」とのこと。自転車で沖縄市まで移動する予定だったけど、無理と判断してギリギリでレンタカーを確保。台風が来ると、沖縄県内の公共交通網は全面ストップ。なので、台風でもやっている大きめのショッピングセンターを回りながら、お土産探しの1日にするかな。
また、台風の様子を見ながら、後輩に会いにいくために沖縄市コザに移動の予定です!